2015/8/31・田子 透明度15m 水温26℃
昭和55年頃をピークに衰退していったカツオ漁。
当時40隻もの100トン超大型カツオ漁船を含む船団が港を埋め尽くし
カツオ漁に沸いていたこの田子に、今はその面影を見ることはできない。
漁の衰退はオイルショック以降の原油の高騰や近海でのカツオの減少など様々らしいが、
今は一隻のカツオ漁船も存在しない。
ダイビングを始めて16年。
なんとなく聞いたことがあるここの昔話も、ただのよく通うダイビングスポットの過去と
そんなに感情を動かされることはなかった・・・。
この日まで。
「あーここしってる。テレビで見て来たかったんだよねー。
京都の有名な料亭とかもほとんどここの鰹節を仕入れているらしいよ。
帰りに買いたい。寄れる?」
国道から右に折れて、田子港への急峻な下り坂に差し掛かるとすぐに、傾きかけたあばら家みたいな鰹節製造所があり、
その脇を通過しようとしたときに、同乗のねえさんがこんな事を云い出した。
「何?ここの鰹節ってそんなにすごいの?」
「ここでも直接買えるのも知らなかったし」
昔の名残とどちらかというと寂しい気持ちでその脇を16年間素通りしてきた・・・。
寄ってみた。ショックだった。いやーすごかった。
古い一つ一つのそこにある道具からの異様な重厚感。
地元の薪のみを使っての独特な製法を明治時代からいまも続けていることを後から知った。
この田子に残る、今は2軒になってしまった鰹節工場のひとつ。
カネサ鰹節商店。
ここを透かして見るとかつてのその名残や面影が強烈によみがえる。
ここは、300年前からカツオ漁で栄えた港町。
40件もの鰹節工場と40艘ものカツオ漁船が並んだかつてカツオ漁獲高日本一の場所。
カツオ漁船が帰港すると、人々が集まりカツオが親族や友人に配られ、加工所へといきわたっていく。
この地区の、沸き、笑い、豪気な、やさしい人々、風土。
それこそがまさにその頃の名残だったのだ。
ねえさんの一言で田子の深層を見ることが出来たように思う。
この日がなければ、田子を浅いフォーカスのままで終えていたかもしれない。
みんなこの時買った鰹節食べたかな。
洞窟と群れと歴史と。
最後は近くの蕎麦屋さん”やぶ誠”にて、
ここの鰹節の出汁を取ったつゆでお蕎麦をすすって、湧き、笑い、人情を味わって。
まさ
「この記事を読んで感想文を書いて提出しなさい。」
僕が教師ならそう言うでしょう。